余合ナオミのコスチュームジュエリーメイキング
ワイヤー&ビーズなライフスタイルを発信します
「You are my angel …スーパーカブ」
昨年の8月20日18時30分に私と夫が見守る中、カブは17歳4ヶ月の生涯を閉じました。
人間で言うと98歳ぐらいだったそうです。
カブが、立派に生き抜いた証として、
カブとの日々のことをHPにも記しておきたいと思います。
結婚してすぐに夫が「犬が飼いたい」とだだをこね始めました。
小学生の時に文鳥が亡くなってからというもの「生き物は絶対に飼わない」と決めていた私は反対したのですが…
夫の「面倒はすべて僕が見るから」という小学生のようなおねだりに根負けをしてしまって、
「愛犬の友」という雑誌を見て北海道のブリーダーさんからカブを譲ってもらうことになりました。「愛犬の友」にはアメリカンチャンピオン犬の両親の写真が掲載されていたのですが、いったいどんな子がくるのかは当日にならないと判りません。
羽田空港に夫とワクワクドキドキしながら迎えに行き、空港でケージを受け取り、車の中でケージを開けたら、まだハムスターかモルモットぐらいの大きさしかないカブはケージから出てくるなり、私の顔をぺろりとなめました。
もうそれからというもの私はカブの虜となったのです。
カブは飼い犬という存在でもなければ、子供に恵まれなかった私達にとって子供の代わりでもなく、スヌービーとチャーリーブラウンのような関係…
私にとっては、最高の相棒でした。
それまでは、どちらかというとサイケデリックな作風のオブジェを制作していたのですが、カブと暮らすようになってからはカブをモデルにして作品をいろいろと制作しました。
その作品は、富士銀行のウインドーや東京ガス、Bunkamura、東京電力、名古屋タカシマヤなど多くの企業のウインドーやショールームに飾らせていただきました。
今日もフィルム時代の写真を整理していたら、大井町のアトレでABISTEさんのウインドーディスプレーの仕事をした時の写真が出てきました。
心臓が光る天使なカブのオブジェなどをディスプレーしています。
またアクセサリーを作るようになってからはカブをモデルにした画像を書籍やブログなどでご覧になってくださった方から、「カブちゃんのファンです」「カブちゃんの写真がきっかけでモードジュエリー講座はじめました」と嬉しい言葉を沢山かけていただきました。
カブの御陰で私のモノ作りの世界は広がって、多くの方と繋がることができたのです。
ずっと大病もせず、血液検査の結果もいつも良好だったカブも年には勝てず、昨年暮れから腎臓の数値がよくなくて、毎日ゴハンにまぜて薬を服用しておりました。
殆ど寝てるか食べるかの毎日でしたが、食欲もあったので安心していたのですが、前の週から食べたものをすべて吐き出すようになったのでいつもお世話になっている動物病院に連れていきました。
腎不全の状態なので3日間集中的に点滴をするということ…このお話を先生から伺った時から私の目からは涙がボロボロとめどもなくこぼれました。
夫は「よ〜生きた」とこの時点で諦めモードだったのですが…点滴に望みをかけて後ろ髪引かれる状態でカブを預けてきました。
明日、面会に行ったら、何事もなかったようにぴんぴんしているかもしれない…と祈るような気持ちで帰路につきました。
次の日の夕方面会に行くと、カブはぐったり横になっていて、見るからに良くない状態…「これはもう家に連れて帰らないと…」と夫に電話をかけにいったん外にでました。
戻ってみるとカブは最後の力を振り絞って立ち上がり、帰りたいアピールをしていました。
夫が到着して先生と話し合い、夫に説得されてもう一日点滴に望みをかけることに…
帰りの車の中でずっと泣いている私に夫が「僕はナオミがいればそれでいい。もう犬もいらないし、子供も欲しくない」と…一生懸命励まそうとしてくれたのだと思うのですが、その言葉で私の涙は×2倍になりました。
先生は「最後は家で看取りたい」という私の気持ちを尊重してくださいまして、病状が急変した夜中にお電話をくださいました。
夫と迎えに行き、カブを抱きしめて家に連れて帰りました。
それから2日間カブと戦い抜きました。
カブは何度もけいれんの発作にみまわれながらも最後まで生きようと闘っていました。
食べられるものがあったら何を食べさせても良いということだったので、1日目の午前中に「ご飯食べる?」と聞くと、もう起き上がれない程ぐったりとして横になっているのですが、かすかにパタパタとしっぽを振ったのです。
しかし、どんな種類のドックフードももう食べようとせず、アイスクリームを一回だけぺろりとなめました。
息づかいも荒くとっても苦しそうな中、夫が丁度一泊の出張にでかけるので「カブ行ってくるよ、頑張れよ」と言った時にはちらりと夫の方を見たような気がします。
1日目はオレンジジュースにナシをすったものを混ぜてあげたら、何度もぺろりとなめてくれたので、この時には「奇跡が起こって、明日には何事もなかったように元気になるかも」「寝たきりの状態でもいいから、生きてて欲しい、すっと一緒にいたい」と思いました。
しかし、2日目…どんどん苦しそうになって、一緒にいていたたまれなくなりました。
なでてあげるぐらいしか出来ない自分の無力さが哀しくて哀しくて…
そんな2日目の14時に4回目のけいれんを起こしました。
一所懸命さすりながら、「もうすぐひとくん(夫)が帰ってくるよ〜カブ」と泣きながら叫ぶと、息も絶え絶えにしながら玄関の方をちらりと見たのです。
この時一度舌をべろんと出したのですが、しばらくすると引っ込め、病院に入ってからも家に帰ってきてからも一度も吠えなかったカブが一回だけ「ワン」と吠えたのです。
今思うとそれは「頑張る」というカブの意思表示だったのか、それとも「さよなら」の意味だったのか…
最後に聴くことができたカブのたくましい声は、私の耳にそして心に刻まれました。
それから夫が帰ってくる16時まで、意識もあるか判らない状態の中、カブは生き抜きました。
まさにスーパーカブでした。
帰って来た夫に抱きしめられると、なんだか満足したような顔をしていたカブ…
この写真が、カブの写真を何百枚と撮ってきた私のカブに対してシャッターを切った最後の写真となりました…。
最初はシャッターを押すことにためらいがあったのですが…
最後まで頑張り抜いたカブの姿をこの写真におさめることができたのかな…と思います。
そして、最後までフォトジェニックだったカブ…
縁あって出会ったカブと夫…この写真は今の私の宝物です。
夫が帰宅してから2時間後…私たちが見守る中、カブは息を引き取りました。
最初は伸びのような姿勢になり、その後は野生の遠吠えのような状態になり、その瞬間にカブの目が美しい翡翠の色に変わったのです。
そして、まるで魔法をかけられたかのように子犬の時のようなぬいぐるみのような穏やかな寝顔に一瞬にして変化したのです。
ずっとずっと眺めていたくなるような可愛い顔をしていました。
その日はカブを挟んで夫と一緒に川の字になって眠り、次の日に火葬をしてもらって、夫と一緒にカブの骨を拾いました。
すっと一緒にいられるように小さな骨壺にも分けてもらいました。
残りは美しいパウダー状にしてもらったので、「いつも留守番ばかりさせてしまってごめんね、自由に世界を駆け巡ってほしい…」という思いを込めて海に散骨をしました。
お世話になった動物病院の先生にご挨拶にうかがいカブが夫が帰ってくるまで頑張り抜いたことをお話しすると、
「それは奇跡ですね…そういう奇跡を本当に可愛がられていた子がよく起こします」
とおっしゃってくださったのが心の救いとなりました。
家にいるとカブの幻影を今も見てしまいます。
台所に立っていると「何かくれるの?」とカブが柱の影から顔をだすのではないか、
作業をしていると廊下を爪の音をカチカチさせながらこちらにやってくるのではないかと…
最初は苦しく、切なくて「引っ越しをしたい」とまで考えたのですが、
今はカブにずっと包まれて暮らしているような気持ちになっています。
カブが向こうから走って来て、それを受け止め、ぎゅっと抱きしめる夢を見ます。
このまま目覚めたくない、起きたらカブの死はすべて夢であって欲しいと思う事もあります。
でもカブは私の心の中、そしてこのPC、ネットの中で永遠に生き続けています。
これからも私のブログの管理人をずっとずっと勤めてもらおうと思ってます。
Facebookやブログでは、多くの方からの沢山の温かいコメント、メッセージに大変励まされました。
またこの一年、お仕事でご一緒しました多くの方からのあたたかいお言葉を頂戴しましたこと、感謝の気持ちでいっぱいです。
相棒を失ってダメダメなチャーリーブラウン状態ですが、少しずつ仕事をしながら元気を取り戻しています。
カブに見守られていると日々実感しています。
カブは私にとってのOnlyわんこであり、今は天使です…
生前カブを可愛がってくださった皆様、HP、ブログや書籍の画像を通してカブを好きになってくださった皆様、本当にありがとうございました。
このWiredに感謝です。